『賭ケグルイ』の蛇喰夢子は「女アカギ」か?
2017年7月9日 アニメ・マンガ
7月からアニメが放送され、またタイミングよくkindleでセールしていたので読んでみた『賭ケグルイ』の感想。
具体的なネタバレは避けていますが、自分なりに咀嚼しているので間接的なネタバレはあるかと思われます。
そういう意味では、興味があって『賭ケグルイ』のアニメを見ようと思っている人よりも、アニメを見ないだろうなとかよく解らないから切ろうと思っている人に興味を持ってもらえればと思って書いてます。
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■賭ケグルイ
人気作なので、以前から『賭ケグルイ』というタイトル自体は目にしていた。
最初に思ったのは、タイトルでハードルを高くしているなぁということ。
漫画や小説で「こいつは天才だ」と言いながら天才のキャラクタを描くことは難しく、狂人も同様だ。浅はかな知識やセンスで創られた天才や狂人など逆に滑稽に見えてしまうと。
では実際に『賭ケグルイ』を読んでみてどうだったか?
面白かった。キャラは個性的で、出てくるゲームも凝っていて、少年漫画らしいハッタリが効いていて。そして『賭ケグルイ』というタイトルは単純かつ完璧にこの作品を表す、素晴らしいタイトルだなと思った。
・"女アカギ"ではない――蛇喰夢子の"賭ケグルイ"というアイデンティティ
アニメ1話を見てもらえると解りやすいのだが、まあ見てないと想定して説明しよう。
夢子というキャラを視聴者に印象付ける台詞として、漫画及びアニメ1話に出てくる「ギャンブルは狂っているほど面白い」というものがある。
――アカギを読んだ事ある人ならこう思うかもしれない。「狂気の沙汰ほど面白い」のパクリじゃないか、と。だからまあ「女アカギ」なんて言われることもあるし最初はそういう風に自分も思っていたのだが、アカギとは決定的に違うこともある。
アカギが求めているのは自分と相手が死ぬまでやる、命のやり取り、真の勝負。その手段がギャンブルだ。しかし夢子はギャンブルそのものが目的なのだ。
・必勝ではない――作者が提示する"賭ケグルイ"のサジ加減
基本的にギャンブル漫画では運否天賦に任せるよりも、そのゲームを攻略し相手を出し抜く知略戦、時にはイカサマをしてでも必勝を期すのが好まれる。
アカギもそうだ。できる事はすべてやる。運に任せることはあってもそれは勝ちへの道程なのだ。
しかし賭ケグルイの夢子は違う。相手のイカサマを見破り、こちらのペースに飲み込み
――そして最後に勝敗を運に委ねる。
1話の投票ジャンケンでも、引いてくる確率が低い"チョキ"で勝ったことを「ラッキーでしたね」と自ら言い切っていた。
ここが好みの分かれる所で、「運に任せるなんてつまらない」と、アニメ1話放送後の感想で多くの人がそう呟いてた。
ではこれは作者が「主人公が相手を上回り絶対に勝つゲーム」を描けないからだろうか?
違う。勿論技量不足でそういう風に描けず読者を納得させられない漫画もあるが、この漫画はそうではないと思う。
1話に出てくるもう一つの夢子の台詞、「絶対に勝つ勝負も、絶対に負ける勝負も嫌」がそれを表している。これこそが作者が描きたい蛇喰夢子の本質、つまり1話のサブタイトル『蛇喰夢子という女』であり、この作品のタイトルの『賭ケグルイ』なのだ。
・悪意ではない――善意のギャンブル狂
夢子には彼女なりの絶対的なルール、ギャンブルにおける公正さがある。
対戦相手が夢子に全てを賭けさせたのならそいつにも全てを賭けるよう仕向ける。夢子を利用として近づいてきたものは協力者であろうとギャンブルに参加させる、安全圏にいるなんて許さない。もっともそれはギャンブルの快楽を他者に分けてあげようとうする善意からよるものでもあるのだが――どうして彼女に関わってしまったのか、登場人物達が後悔する姿は正にギャンブルそのもののようだ。
多くの人にとってギャンブルで絶対勝つ方法があるなら、絶対勝てた方がいい。お金だったり、優越感だったり、何かしらの勝利報酬を得る為のギャンブルなのだから。作中のキャラたちも大抵は必勝を目指して策をめぐらす。
でも蛇喰夢子は違う。勝利も敗北も愛するギャンブルの一要素にすぎないのだ。だからこそ対戦相手は夢子の策略を計りかね、彼女の狂気に溺れ、自滅していく事も多い。
そう考えると「結局、最後に運任せかよ」と眉を潜めてしまう読者が多いのも仕方ないのかもしれない。
それもまた作者が描きたかった蛇喰夢子――普通の人には決して理解できない『賭ケグルイ』なのだから。
具体的なネタバレは避けていますが、自分なりに咀嚼しているので間接的なネタバレはあるかと思われます。
そういう意味では、興味があって『賭ケグルイ』のアニメを見ようと思っている人よりも、アニメを見ないだろうなとかよく解らないから切ろうと思っている人に興味を持ってもらえればと思って書いてます。
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■賭ケグルイ
人気作なので、以前から『賭ケグルイ』というタイトル自体は目にしていた。
最初に思ったのは、タイトルでハードルを高くしているなぁということ。
漫画や小説で「こいつは天才だ」と言いながら天才のキャラクタを描くことは難しく、狂人も同様だ。浅はかな知識やセンスで創られた天才や狂人など逆に滑稽に見えてしまうと。
では実際に『賭ケグルイ』を読んでみてどうだったか?
面白かった。キャラは個性的で、出てくるゲームも凝っていて、少年漫画らしいハッタリが効いていて。そして『賭ケグルイ』というタイトルは単純かつ完璧にこの作品を表す、素晴らしいタイトルだなと思った。
・"女アカギ"ではない――蛇喰夢子の"賭ケグルイ"というアイデンティティ
アニメ1話を見てもらえると解りやすいのだが、まあ見てないと想定して説明しよう。
舞台は、上流階級の子女が数多く通う名門校・私立百花王学園。まあ簡単に要約すると謎の美少女転校生・夢子がエリートやキチガイ達を相手に暴れるギャンブル学園漫画だ。
この学園ではギャンブルによる階級制度によって支配されていた。
物語は、そんな学園に、蛇喰夢子という少女が転校してくる所から始まる。
夢子というキャラを視聴者に印象付ける台詞として、漫画及びアニメ1話に出てくる「ギャンブルは狂っているほど面白い」というものがある。
――アカギを読んだ事ある人ならこう思うかもしれない。「狂気の沙汰ほど面白い」のパクリじゃないか、と。だからまあ「女アカギ」なんて言われることもあるし最初はそういう風に自分も思っていたのだが、アカギとは決定的に違うこともある。
アカギが求めているのは自分と相手が死ぬまでやる、命のやり取り、真の勝負。その手段がギャンブルだ。しかし夢子はギャンブルそのものが目的なのだ。
・必勝ではない――作者が提示する"賭ケグルイ"のサジ加減
基本的にギャンブル漫画では運否天賦に任せるよりも、そのゲームを攻略し相手を出し抜く知略戦、時にはイカサマをしてでも必勝を期すのが好まれる。
アカギもそうだ。できる事はすべてやる。運に任せることはあってもそれは勝ちへの道程なのだ。
しかし賭ケグルイの夢子は違う。相手のイカサマを見破り、こちらのペースに飲み込み
――そして最後に勝敗を運に委ねる。
1話の投票ジャンケンでも、引いてくる確率が低い"チョキ"で勝ったことを「ラッキーでしたね」と自ら言い切っていた。
ここが好みの分かれる所で、「運に任せるなんてつまらない」と、アニメ1話放送後の感想で多くの人がそう呟いてた。
ではこれは作者が「主人公が相手を上回り絶対に勝つゲーム」を描けないからだろうか?
違う。勿論技量不足でそういう風に描けず読者を納得させられない漫画もあるが、この漫画はそうではないと思う。
1話に出てくるもう一つの夢子の台詞、「絶対に勝つ勝負も、絶対に負ける勝負も嫌」がそれを表している。これこそが作者が描きたい蛇喰夢子の本質、つまり1話のサブタイトル『蛇喰夢子という女』であり、この作品のタイトルの『賭ケグルイ』なのだ。
・悪意ではない――善意のギャンブル狂
夢子には彼女なりの絶対的なルール、ギャンブルにおける公正さがある。
対戦相手が夢子に全てを賭けさせたのならそいつにも全てを賭けるよう仕向ける。夢子を利用として近づいてきたものは協力者であろうとギャンブルに参加させる、安全圏にいるなんて許さない。もっともそれはギャンブルの快楽を他者に分けてあげようとうする善意からよるものでもあるのだが――どうして彼女に関わってしまったのか、登場人物達が後悔する姿は正にギャンブルそのもののようだ。
多くの人にとってギャンブルで絶対勝つ方法があるなら、絶対勝てた方がいい。お金だったり、優越感だったり、何かしらの勝利報酬を得る為のギャンブルなのだから。作中のキャラたちも大抵は必勝を目指して策をめぐらす。
でも蛇喰夢子は違う。勝利も敗北も愛するギャンブルの一要素にすぎないのだ。だからこそ対戦相手は夢子の策略を計りかね、彼女の狂気に溺れ、自滅していく事も多い。
そう考えると「結局、最後に運任せかよ」と眉を潜めてしまう読者が多いのも仕方ないのかもしれない。
それもまた作者が描きたかった蛇喰夢子――普通の人には決して理解できない『賭ケグルイ』なのだから。
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