もはや日記でもなんでもない日記
サッカー。

・バルセロナのメッシが"神の手ゴール"

マラドーナが86年W杯で見せた二つのスーパープレイ、
『5人抜き』そして『神の手ゴール』。
"本当のマラドーナ二世"の呼び声高いメッシは『サッカー史上最も美しいゴール』だけでなく
『サッカー史上最も汚いゴール』までもリプレイして見せた。
http://www.youtube.com/watch?v=zf2b36HWtZ0

ビデオで見ればハンドは明らか、相手チームも猛然と抗議。
しかし主審の目は欺かれ、ゴールの判定は覆りませんでした。

巧いね。
でもコレを見て「やっぱりメッシはマラドーナ二世だ!」って大喜びするのはどうかと思う。
マラドーナはプレイ中の閃きに過ぎないけど、こいつは絶対「チャンスがあったら真似してやろう」って思ってたよ。俺にはマラドーナ二世っていうより、マラドーナ遊びに夢中になる19歳の少年にしか見えないぜ。

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インチキらきすた歴史学。

らきすたとその信者を端的に表す言葉に『らきすたは三冊買いがデフォ』というものがある。
この言葉は、今の時代ならば「らきすたは三冊買う価値がある」と好意的に解釈できる。
しかし、実はもう一つの意味があるのだ。
いや、歴史的背景を考えれば、むしろ"もう一つの意味"の方が正しい。

らきすた一巻発売当時、角川は類をみないほどの攻勢を仕掛けた。
あらゆる書店に平積みで、大量に置かれていたのを覚えてる人もいるだろう。
そして、それが売上げに結びついたかと言えば、売れた。独特なノリに一部の信者もついた。
しかし、多くの人はこう思ったらしい。「表紙に騙された」
結局、多くのらきすた一巻はBOOK OFFに"再入荷"される事になった。

古本屋に大量に流れるのを見かねた信者が頑張って買い戻す。二冊目、三冊目と。
そうした行為を他のオタク達はこう揶揄した。
『らきすたは三冊買いがデフォ』
この言葉は信者を嘲笑う言葉であり、同時にごく狭い層が支える漫画だと意味していたのだ。

こうした流れは「らきすたを次代の看板に」と考えていた角川にとって完全な誤算だった。
しかし、意外な所から打開策は見つかったのである。
角川の現看板『涼宮ハルヒの憂鬱』の発行部数を三倍に伸ばしたアニメ、
その制作会社である京都アニメーション。
らきすたアニメ化に際し、角川が彼らに期待していた事はなんだろうか?
そして今、周りを見渡せば何が見えるだろうか?

石を投げるとナイフを持ったらきすた厨に当たる時代。"京都アニメーション"という美酒に酔った彼らの声は大きく、横暴で、そんな彼らを見る周囲の目は険しくなっていく。このような状況の中では、最早らきすたは正当な評価を得る機会を失ったと言わざるを得ない。
そして今一番戸惑っているのは、らきすた一巻を脇に三冊抱えた昔からの信者ではないかと私は思うのだ。

―この項、了。

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ちょwwwwこんなの書いてたら3時過ぎてるwwwww死ねるwwwwww

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