らきすたか!
2007年5月7日
つかれたよ。
電撃ムービーフェスティバル。
池袋で迷子になりかけました。集合時間に遅れて迷惑かけた。
舞台挨拶。のいぢ先生がフリアグネ萌え萌え言ってました。
だからなんだと言うワケではありません。
本編。
シャナって意外と普通じゃね?キノは普通に普通。いぬかみっは最高にキテた。
セブンアークスはナノハよりもいぬかみ二期作ろうぜ!
--------------
合宿。
>フォフォフォ氏
>ベンさん、マックさん、ガムとラキスタについて語り合ったこと
俺の発言は一つも無い事を主張せねばならない。俺はただ何も言わずに牛乳飲んでただけですよ。まさか大学生になってまで鼻から牛乳を噴く事になるとは思わなかったけれど。
しかし、酷かったね。
「俺もらきすた好きになるよ!」って言って、見てる人達の所に飛び込んで30秒で逃げたり
エロゲー雑誌読んでる人達に対して「お前ら何読んでんの?らきすたか!」とか言ったり
馬鹿にしすぎだよね。
朝起きたらフォフォフォさんとベンさんにらきすた厨の数だけ包丁が刺さってて
チョココロネのチョコで「天誅」とか書かれててもおかしくなかったと思う。
むしろ朝フォフォフォさんを見て「あ、生きてる」って安心したぐらい。
ちなみに俺はらきすた大好きですよ。小神あきら可愛いと思うよ。
新入生とはアニメ業界の話とかしました。サンライズの話をしても結局は京アニに行き着いたりしました。本当、今年はらきすた尽くしだぜ。
徹夜で消耗してたので、朝御飯だけ食べた後は秋葉原に移動するだけしてすぐ帰宅。
秋葉原ツアーはフォフォフォ氏が行くなら考えたんだけどね。ギザ残念ス。
幹部はごめんね。また今度、君が暇な時にでも誘ってくれれば飲むよ。
-----------------
フジで放送してたので書いてみる。
当時は書かずにおいた、映画版ブレイブストーリーに関してネタバレ混みの感想。
この作品のあらすじを掻い摘んで言うと。
父が家を出て行き、母が倒れ、主人公ワタルの家庭は崩壊する。運命を変えてくれる女神の事をクラスメイトのミツルから聞いたワタルは、力を求めて異世界に旅立つ。
仲間との出会い、ミツルとの戦いと彼の死、自分自身との戦いを経てワタルは成長し、本当の勇気を手に入れる。ワタルは冒険の果てに女神に出会うが、運命を変える事ではなく、受け入れる(一人で母を支えていく)事を選び、元の世界に戻る。
映画版では更にもう一行加わります。
【ミツルは女神の力で生き返り、元の世界に戻り、ワタルと再び出会う。】
これは小説にはなく、映画にラストシーンとして付け加えられました。
これが最悪。
ワタルが運命を受け入れる事を選んだのは、ミツルの死も含めてのはず。
なのにミツルが生き返ってしまうのは、水を差してないか。
SF作家のテッド・チャンは『地獄とは神の不在なり』の後書きで、こんな事を書いていました。
「『ヨブ記』において、ヨブは「見返りが無くても信仰し続けられるか」を試され、苦難にあっても神を信仰し続けるが、その果てに報われるのは納得がいかない。結局、見返りがあるのでは矛盾していないか。作品のメッセージを貫くならば、ヨブは最後まで全てを失ったままでなければならないのではないか」
映画版のブレイブストーリーでも、同じようなズレを感じるのです。
何故、結末を変えてしまったのか?
ワタルが全てを失ったままではハッピーエンドに見えない=大多数の消費者に受け入れられないから、例え安易であってもミツルを復活させたのでしょう。しかし、それはこの作品でやってはいけないと思うんですよ。
制作者はメッセージを貫く勇気が持てなかった。だから俺は言いたい。
これは勇気を持った少年ワタルと、勇気を無くしたGONZOスタッフの物語である。
-------------------
あ、なんか23の若造が偉そうな事言ってますね。
何が正しくて何が間違ってるのか何も解らないのにね。
まだまだ多くを学ばなければならないだろう。人生は勉強である。
電撃ムービーフェスティバル。
池袋で迷子になりかけました。集合時間に遅れて迷惑かけた。
舞台挨拶。のいぢ先生がフリアグネ萌え萌え言ってました。
だからなんだと言うワケではありません。
本編。
シャナって意外と普通じゃね?キノは普通に普通。いぬかみっは最高にキテた。
セブンアークスはナノハよりもいぬかみ二期作ろうぜ!
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合宿。
>フォフォフォ氏
>ベンさん、マックさん、ガムとラキスタについて語り合ったこと
俺の発言は一つも無い事を主張せねばならない。俺はただ何も言わずに牛乳飲んでただけですよ。まさか大学生になってまで鼻から牛乳を噴く事になるとは思わなかったけれど。
しかし、酷かったね。
「俺もらきすた好きになるよ!」って言って、見てる人達の所に飛び込んで30秒で逃げたり
エロゲー雑誌読んでる人達に対して「お前ら何読んでんの?らきすたか!」とか言ったり
馬鹿にしすぎだよね。
朝起きたらフォフォフォさんとベンさんにらきすた厨の数だけ包丁が刺さってて
チョココロネのチョコで「天誅」とか書かれててもおかしくなかったと思う。
むしろ朝フォフォフォさんを見て「あ、生きてる」って安心したぐらい。
ちなみに俺はらきすた大好きですよ。小神あきら可愛いと思うよ。
新入生とはアニメ業界の話とかしました。サンライズの話をしても結局は京アニに行き着いたりしました。本当、今年はらきすた尽くしだぜ。
徹夜で消耗してたので、朝御飯だけ食べた後は秋葉原に移動するだけしてすぐ帰宅。
秋葉原ツアーはフォフォフォ氏が行くなら考えたんだけどね。ギザ残念ス。
幹部はごめんね。また今度、君が暇な時にでも誘ってくれれば飲むよ。
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フジで放送してたので書いてみる。
当時は書かずにおいた、映画版ブレイブストーリーに関してネタバレ混みの感想。
この作品のあらすじを掻い摘んで言うと。
父が家を出て行き、母が倒れ、主人公ワタルの家庭は崩壊する。運命を変えてくれる女神の事をクラスメイトのミツルから聞いたワタルは、力を求めて異世界に旅立つ。
仲間との出会い、ミツルとの戦いと彼の死、自分自身との戦いを経てワタルは成長し、本当の勇気を手に入れる。ワタルは冒険の果てに女神に出会うが、運命を変える事ではなく、受け入れる(一人で母を支えていく)事を選び、元の世界に戻る。
映画版では更にもう一行加わります。
【ミツルは女神の力で生き返り、元の世界に戻り、ワタルと再び出会う。】
これは小説にはなく、映画にラストシーンとして付け加えられました。
これが最悪。
ワタルが運命を受け入れる事を選んだのは、ミツルの死も含めてのはず。
なのにミツルが生き返ってしまうのは、水を差してないか。
SF作家のテッド・チャンは『地獄とは神の不在なり』の後書きで、こんな事を書いていました。
「『ヨブ記』において、ヨブは「見返りが無くても信仰し続けられるか」を試され、苦難にあっても神を信仰し続けるが、その果てに報われるのは納得がいかない。結局、見返りがあるのでは矛盾していないか。作品のメッセージを貫くならば、ヨブは最後まで全てを失ったままでなければならないのではないか」
映画版のブレイブストーリーでも、同じようなズレを感じるのです。
何故、結末を変えてしまったのか?
ワタルが全てを失ったままではハッピーエンドに見えない=大多数の消費者に受け入れられないから、例え安易であってもミツルを復活させたのでしょう。しかし、それはこの作品でやってはいけないと思うんですよ。
制作者はメッセージを貫く勇気が持てなかった。だから俺は言いたい。
これは勇気を持った少年ワタルと、勇気を無くしたGONZOスタッフの物語である。
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あ、なんか23の若造が偉そうな事言ってますね。
何が正しくて何が間違ってるのか何も解らないのにね。
まだまだ多くを学ばなければならないだろう。人生は勉強である。
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